はたまん文庫

トドが君に恋してる

トドミは
泳ぎが得意でした
海の中にいる時は
からだが軽く
何もかも
思いどおりに
なりそうな
気がしました

でも
水から陸にあがると
からだが重く感じられ
なにもする気になれず
たいてい
ゴロゴロしていました

ある日
カモメが
海とは反対のほうへむかって
飛んで行きました
それはトドミにとって
見なれた光景のはずでしたが
なぜか
その日のトドミは
いつもとは違いました
「海と反対側の
この先は
どうなっているのかしら?」

トドミは
海とは反対のほうへ
進んで行きました
とちゅうで
ふりむくと
海が遠くに見えました
「こんなに海から
はなれたのは
はじめての経験だわ」
トドミは
少しこわくなりましたが
もどる気になれば
まだもどれると思い
さらに前へ進みました

ときどき
通りすぎる
車の窓から
「トドだ!
トドだ!」
という声がしましたが
そのたびにトドミは
悲しい気持ちになりました
なぜならトドミには
両親につけてもらった
トドミという名まえが
あったからです
「私はトドミよっ!」

トドミは
ぷりぷり怒りながら
さらに海とは反対のほうへ
進んで行きました
「あんた
どうして柵の向こうに
いるんだい?
そっちにいると
ろくなことがないよ」
トドミが
声のしたほうを見ると
ウシがいました

「柵の中においでよ」
ウシの声は
トドミには
やさしくきこえました
トドミは
姿勢を低くしながら
柵の下をくぐりました

「こっちこっち」
ウシはシッポをふりながら
斜面を上がって行き
その後をトドミは
ついて行きました

斜面の上には
たくさんのウシがいました
「モーイ
変わった生きものが
来たよーっ!」
トドミをつれて来たウシは
ほかのウシたちに
トドミが来たことを
大きな声で知らせました
トドミは
自分のことを
「変わった生きもの」と
呼ばれたことに
とまどいました

「変な生きもと呼ばれるなら
トドと呼ばれたほうが
いいわ・・・」
ウシたちは
トドミを囲むように
集まってきました
そして
一頭のウシが言いました
「ここは
アンタの来る場所じゃ
ないんだよっ!」
「えっ?
私は誘われたから
ここに来たのよ」

「誘われたって
断ることもできたでしょ?」
「ずうずうしいやつね!」
「やっちまいな!」
トドミは
柵の中に誘ってくれた
ウシをさがそうとしましたが
ウシたちは大勢いて
見分けがつきませんでした
「痛いっ!」
誰かがトドミを
踏みつけました

ウシたちの攻撃は
終わりません
トドミは思いました
「やさしく声をかけたのは
こうするのが
目的だったんだわ!」
とつぜん
一匹のウシが
空中に浮かび上がりました
トドミが
鼻の先に乗せて
持ち上げたのです

持ち上げられたウシは
足をばたばたさせながら
さけびました
「なにすんのさ!」
つぎの瞬間
ウシは草の上に
放り投げられ
「モヒーッ!」
と悲鳴をあげました

そのようすを見ていた
ウシたちが
ひるんだすきに
トドミは
必死に斜面を
すべり下りて行きました
「チクショーッ」
「チクショーッ」
遠くからウシたちのさけぶ声が
きこえてきましたが
トドミは
柵の外へ出るまで
一度もふりむきませんでした

「どっちが
チクショーよ」
トドミは
とても不愉快な気分でしたが
海へ帰ろうとは
考えませんでした
「このまま
海にもどったら
負けて逃げるようで
しゃくだもの」
トドミは
海とは反対のほうへ
さらに進んで行きました

その夜
トドミは
森の中へ入り
眠ろうとしましたが
なかなか
寝つけません
トドミは
その理由が
いつも海では
きこえていた波の音が
きこえないためだと
思いました

「今夜は
月がふたつ見える」
とつぜん
だれかの声がきこえたので
トドミは
びっくりしました
「だれっ?」
「空にひとつ
それから
キミのほほにひとつ」
声の主は
木の枝に
ぶらさがっていました

「あなたは
だれなの?」
「ネコ・・・」
「うそっ!」
「・・・もしくは
コウモリ」
「ネコウモリね」
「キミが望むなら
そう呼べばいい」

「そんな所で何をしているの?」
「ヒマをつぶしに
タマネギの皮を
むいていないことは
たしかだ」
「・・・・・・」
「キミのほうは
何をしていたんだい?」
「眠ろうとしていたんだけど
眠れないの」
「星の数をかぞえるといい」
「星はぜんぶでいくつあるの?」
「わずらいの数だけさ」

トドミには
ネコウモリの
言ってる意味が
わかりませんでした
「わずらいって
なんのこと?」
「悩みのことだよ」
「おなかがへることね」
「それも
ひとつだね」
「ほかに
あるかしら?」
ネコウモリは
長いため息をつきました

そして
「キミは一度も
星の数を
かぞえたことがないんだね」
と言うと
空高くへ飛んで行きました
トドミは
その姿が
月の光の中で
小さくなって
見えなくなるまで
ずっと見ていました

トドミは
ネコウモリと
話す前よりも
さびしい気分になりました
「星の数をかぞえて
はやく眠っちゃえばいいんだわ」
トドミは
星の数をかぞえ始めました
「いち・・・にい・・・さん・・・」
しかし
つぎの数字を思い出せず
悩んでいるうちに
眠ってしまいました

翌朝
トドミは
体に痛みを感じて
目をさましました
「いたいっ!」
トドミのからだに
体の細長い生きものが
かみついていたのです
「なにすんのよっ!」
細長い生きものは
トドミの体から口をはなして
答えました
「食べようと思ったんだ」
「食べないでよっ!」

「おなかがへっていたんだ」
細長い生きものが
そう言うと
「私も」
とトドミが言いました
「でもボクは
キミを食べなくても
かまわないよ」
「よかった」
「キミを食べなくても
モグリは川でサカナをつかまえて
食べることができるからね」

「サカナがいるの?」
「そうさ
川にいっぱいいるよ」
トドミは
目をかがやかせて言いました
「私を
そこへ案内して
ちょうだい!」
「ああ
いいともさ」
自分のことを
モグリと呼ぶ生きものと
トドミは
川へ向かいました

モグリは
川に着くなり
川の中にモグリ
あっというまに
サカナを
口にくわえてきました
それを見ていた
トドミは
「アンタ
なかなかやるわね」
そう言うと
川の中へ
飛びこみました

川は
トドミが
からだを
自由自在に
動かすには浅く
トドミは
水の中で
サカナの姿を
見ることができても
つかまえることが
できませんでした

トドミは
川から上がると
何も言わず
じっと川を見つめ
思いました
「このままサカナを
つかまえられず
食事ができないなら
海へ帰らなければ
ならないわ・・・」

その時
モグリが
トドミの前に来ると
サカナを置き
言いました
「食べてもいいよっ!」
それから
モグリは
何度も川に入り
サカナをつかまえて
トドミに持って来て
くれました

トドミは
おなかがいっぱいになると
言いました
「ありがとう
もう
だいじょうぶ
元気になったわ」
「うん
それじゃ
ボクは行くね」
モグリは
そう言うと
川を泳いで
どこかへ行ってしまいました

トドミは
思いました
「サカナを
自分でとれないようじゃ
先が思いやられるわ」
トドミは
残念でしたが
モグリにサカナを
とってもらった思い出を
おみやげにして
海へ帰ろうと
決めました

トドミが
川をはなれ
やぶをぬけると
一人の男がいて
トドミにむかって
言いました
「おまえさん
さっき川で
サカナをとって
食べていただろ?」

「ええ

たくさん
サカナを食べたから
元気になったの」
トドミが
そう言うと
男は
おどろいた表情で
こう言いました
「ここで
サカナをつかまえるのは
禁止されているんだぞ!」

「私
知らなかったの」
「知らなくても
きそくをやぶったヤツは
こらしめられることに
なっているんだ」
「これから海に帰るの
もうここには来ないから
かんべんして」
「オレに
たのんでもむだだよ
こらしめるのは
オレの仕事じゃないんだ」

「じつは
おまえさんが
川でとったサカナを
食べているのを
オレのほかに
オレの知らない男が
見ていたんだ
そいつが
こらしめる仕事をしている人間へ
知らせに行ってるんだ」
「こらしめる人は
ゆるしてくれるかしら?」

「おまえさんは
カネを持っているかい?」
「カメ?」
「カメじゃないよ
これのことさ」
男はズボンのポケットから
お金を取り出して
トドミに見せました
「持ってないわ」
「こらしめる仕事の人間に
これをあげたら
ゆるされる場合もあるが
これがないのなら
ダメだな」

「こらしめって
どんなことをされるの?」
「からだじゅうに
マタタビの粉を
ふりかけられて
三百匹のネコがいる部屋で
ネコたちになめられるのさ」
「私
平気よ」
「知らない者は
みなそう言うのさ」
「だって
くすぐったいだけでしょ?」

「はじめは
くすぐったいだけだが
やがて
やすりのように
ざらざらしたネコの舌に
全身の皮がむかれ・・・」
「もう
説明しなくて
いいわっ!」
「こらしめられたくないだろ?」
「ええ」
「逃げたほうがいいぜ」
「ええ」

「でも
そのからだじゃ
目立って
逃げられないな」
「・・・・・・」
「おれが
助けてやろうか?」
トドミは
少し迷いましたが
ネコなめの刑より
ひどい目にあうことは
ないだろうと思いました
「お願いするわっ!」

トドミが
男の言うままに
近くに停まっていた
車の荷台に
もぐりこみむと
やがて車は
走り出しました
荷台の中は
真っ暗でしたが
トドミは
ここなら
こらしめる仕事の人間に
見つからないと思い
気持ちが落ちつきました

車が止まり
荷台から外へ出た時
海のにおいがしないことに
トドミは
首をかしげました
男の車に乗った時
てっきり海まで
つれて行ってくれると
思っていたからです
「ここはどこかしら?」
トドミの質問に
男が答えました
「ここはおれの動物園さ」

男は
柵のとびらを閉めると
車に乗って
どこかへ行ってしまいました
トドミは
まわりを見渡し
柵に囲まれた場所に
自分がいることを知りました
そして
この柵の中には
自分のほかに
もう一匹の生きものが
いることに気がつきました

その生きものは
トドミの近くに来て
言いました
「私
トンコ
よろしくブー」
トドミは
状況がよくわからなくて
不安でしたが
トンコの姿を見て
少しほっとしました
「私は
トドミ
よろしく」

「どうぶつえんって
何かしら?」
トドミの質問に
トンコが答えました
「動物園っていうのはね
人間以外の動物が
見物されやすいように
せまい場所に
とじこめられる所よ」
そこへ
トドミをここへつれてきた
男がもどってきました

男は
持ってきたバケツの中から
サカナをつまみ出し
トドミの前に
放り投げました
「食べな」
「海に帰してくれるんじゃ
なかったの?」
「そんな約束はしてないぞ
ネコなめの刑から
逃げるのを助けてほしいと
おまえがたのんだから
こうして助けたやったん
じゃないか」

トドミは
すっきりしない気持ちでしたが
男の言いぶんに
間違いを見つける
こともできず
だまっていました
「おまけに
こうして
食い物まで
与えているんだぞ
感謝の言葉くらい
言ったらどうなんだっ」
男が語気を荒げました

「私
おなかへってないもん」
トドミの反応に
男は一瞬
動揺の表情を見せましたが
にやりと笑うと
行ってしまいました
「あんた
ほんとうに
おなかへってないの?」
トンコがたずねました
「ほんとうよ
川でいっぱいサカナを
食べたばかりなの」

トドミが
しゃべり終わる前に
トンコは
男が投げてよこした
サカナに駆け寄り
あっというまに
サカナを食べてしまいました
そして
鼻で大きく空気を吸ってから
言いました
「人間が来たわ」

やって来たのは
ひとりの
女の子でした
女の子は
トドミを見つめ
トドミは
女の子を見つめました
女の子が
トンコへ視線を移し
「ブーッ!」
と声を出すと
トンコも
「ブーッ!」
と鳴きました

女の子は
大きな声を上げて笑いました
トンコが
走り回りながら
「ブーッ!
ブーッ!」
と鳴くと
女の子も
「ブーッ!
ブーッ!」
とトンコのまねをしました

女の子が
帰ってしまうと
トンコが言いました
「ブタだと思って
バカにしているのよ」
トドミは
トンコの言った意味が
理解できませんでした
「あなた
ブタじゃないの?」
「ブタだけど
バカにされる理由には
ならないわ」
「・・・・・・」

トンコが言いました
「あの子
前に母親と来て
その時
柵の中に落ちたの
母親は
すぐに
おじさんを
呼んで来たわ」
「おじさんって
だれ?」
「アンタを
ここへつれて来た人よ」

「ええと
何のはなしを
していたかしら?」
「おじさんのはなし」
「ちがうわ」
トンコは
トドミからはなれると
地面を鼻で
つつき始めました
そして
しばらくしてから
とつぜんさけびました
「思い出したわっ!」

「その子の母親は
泣きながら
こう言ったの・・・」
「・・・」
「きたないっ!
あぶないっ!
助けてえっ!」
「・・・」
「きたなくて
あぶない所にいる
私を見て
喜んでいたくせに
まったく
失礼しちゃうわっ!」

トンコは続けて言いました
「あいつら
動物を見物するひまがあるのに
自分たちが何をしているか
気にしないの」
トドミは
少し考えてから
言いました
「私
海へ帰るわ」
「ここから
どうやって
ぬけ出すつもり?」

トドミは
柵を見ながら
言いました
「こんな柵
体当たりして
ぶっこわしてやるわっ!」
「そのあとは?」
「そのあと?」
「どっちにへ向かえば
海にたどりつくか
知っているの?」
「・・・・・・」

「そのからだで
道路をウロついてたら
すぐに見つかって
つれもどされるわよっ!」
トドミは
抜け出した後のことを
なにも考えていませんでした
「トンコさんは
ここから
出たくないの?」
「そうね
それも悪くないけど
ここにいると
いいこともあるわ」

「いいことってなあに?」
「毎日
食べ物が
もらえることかしら」
トドミは
海にいる時
自分でサカナをとって
食べていたことを
思い出しました
「海へ帰れたら・・・」
トドミは海から
遠ざかってしまったことを
後悔しました

その日
動物園へ
見物におとずれたのは
トンコをからかった
女の子だけでした
トドミは
どうしたら海へ帰れるか
日が暮れるまで
考えていました
「どっちに海があるのかさえ
わからなくなってしまったのに
どうやって・・・」
いつのまにかトドミは
眠ってしまいました

つぎの日の朝
鳥がさえずる声で
トドミは
目をさましました
空がすでに明るく
トドミは
まわりの景色を見て
ため息をつきました
「やっぱり
ここは
海じゃないのね」
そこへ
両手にバケツをぶらさげた
おじさんが現れました

「メシだ
今日は食べるんだろ?」
「食べるけど
私を海へ
帰してちょうだい」
「おれは
おまえを助けてやったのに
おまえさんからは
菓子折りのひとつも
もらっていないんだ
それなのに
タダでメシを食べて
さらにたのみごとをするとは
ずうずうしいやつだな」

「菓子折りってなあに?」
「おいしいものが
入っている箱さ」
おじさんはそう言うと
えさの入ったバケツを置いて
行ってしまいました
いつのまにか
トドミの横では
トンコが
バケツの中に
頭をつっこみ
食事を始めていました

トンコは
すべて食べて終えると
言いました
「菓子折りおやじって
言われてるのよ
ここに見物に来るやつらが
そう言ってるのを
何度もきいたことがあるわ」
「おじさんは
菓子折りが
好物なのね」
「そうじゃないわ
ほんとうに好きなのは
別のもの」

「別のものって
なあに?」
「感謝されることよ」
「なんだ
そんなことか
それなら
そういえば
いいのに」
トドミがそう言うと
トンコは
少しむっとして言いました
「あんたは
わかってないわ」

その日は
地元の幼稚園にかよう
子供たちと先生が
動物園にやってきました
子供たちは
トンコやトドミにむかって
黄色いさけび声をあげて
大騒ぎしていましたが
先生は
動物園のおじさんと
ずっと話をしていました

幼稚園の子供たちと
先生が帰ると
おじさんもいなくなりました
「悪いことが
起きる気がするわ」
トンコが言いました
「なぜ?」
トドミがききました
「あんなに
たくさんの子供たちが
よろこんでいたのに
誰もおじさんに
菓子折りを
持って行かないからよ」

「でも
ここは菓子折りがなくても
見物していいんでしょ?」
「菓子折りがなくても
いい場所だから
わざわざ菓子折りを
あげると
おじさんは
うれしいのよっ!」
トンコは
鼻をブーブー鳴らしながら
トドミからはなれて
行きました

太陽が山のかげに
沈みそうになったころ
柵のむこうに
おじさんがやってきました
「おまえたちが
もっと動いて
楽しませないから
菓子折りのひとつも
もらえないんだ!」
おじさんは
それだけ言うと
行ってしまいました

「やっぱりね・・・」
トンコがつぶやきました
「いつもは
夕方にも
食べものを
もらえるんだけど
今日は
おじさん
ぷりぷりしてたから
ダメね」

その夜
トドミは
おなかがへって
なかなか眠れませんでした
「トンコは
おなかがへっていないの?」
トドミが声をかけると
トンコがこたえました
「明日の朝になったら
食べものをもらえるわ」
トドミは
トンコもおなかがへって
眠れないのだと思いましたが
だまっていました

トンコが言いました
「明日はおおぜいの人が
来ないことを祈って
眠りましょう」
「どーして?」
「おおぜいの人が来ると
おじさんの期待が
大きくなるからよ」
「菓子折りを
もらえなかった時の
不満も大きくなるのね」
「あんた
わかってきたわね」

つぎの日は
昼をすぎても
見物におとずれる者は
いませんでした
「こんなせまい場所で
じっとしているのは
たいくつだわ」
トドミが言いました
トンコは
返事をするのも
めんどうなようすで
地面の上に横になりながら
トドミのほうを
ちらりと見ました

トドミが
言いました
「トンコ
からだを貸して
ちょうだい」
「え?」
トドミは
鼻の先で
トンコのからだを
高く持ち上げました
「キャーッ!
こわいブーッ!」
トンコがさけびました

トドミは
トンコを地面に
降ろしてあげました
「あーびっくりした
胸がドキドキするわ
でも
ちょっと
楽しかったわ」
トドミは
トンコが悲鳴をあげた時
心配しましたが
「楽しかった」という
言葉をきいて
ほっとしました

その時でした
「あら
あそこに
誰かいるわ」
トンコが言いました
トドミも
トンコが見つめている
ほうへ目をむけました

その人は
草のかげで
しゃがんだり
立ったりを
くりかえしていました
「なにをしているのかしら?」
トドミが言いました
「ブーッ!」
トンコが鳴くと
その人の動きが
止まりました

その人は
トドミたちのほうへ
歩いてきて言いました
「とつぜん崖から
大きな石が落ちて来ても
すばやくかわせるように
肉体をきたえていたんだ」
トドミが
なんと返事をするべきか
考えていると
その人は
柵の中に入ってきました

そして
とつぜん
トドミの背中に乗ると
トドミの首に
腕をまわしました
おどろいたトドミが
からだを大きくゆすると
その人は
空中に飛ばされ
地面の上に落ちて
ころがっていきました

「こらーっ!
柵の中に入ったら
いかーん!」
動物園のおじさんが
大声を出しながら
トドミたちのほうに
走ってきました
地面にころがっていた人は
立ち上がり
「しなやか筋肉を
持っているな」
と言うと
柵の外に出て
行ってしまいました

トンコが
言いました
「あの人
近所に
住んでいるの
みんな
モミオって呼んでるわ」

その夜も
トドミは
なかなか眠れませんでした
「今晩は食事をして
おなかがへってないのに
なぜかしら・・・」
トドミの横では
トンコが寝息を立てていました

トドミは
夜の空を
ながめながら
今日
はじめて会ったモミオも
この空の下にいるのだと想い
胸を熱くするのでした

「あら
まだ残っているわよ
食べないの?」
「食べたかったら
食べてもいいわよ」
よく朝
トドミは食欲がなく
残した食事を
トンコへあげました

「モミオさん
きょうは
来ないのかしら?」
「アンタ
朝から同じことを
何度も言ってるわ」
トドミが残した食事を
たいらげたトンコは
すみのほうへ行くと
「ブーイ」と鳴き
横になると
眠ってしまいました

その日は
ふたりの女の子が
動物園をおとずれました
動物園のおじさんは
ニコニコしながら
女の子たちのそばへ行き
あごでトドミを
指し示して
言いました
「こいつは
さいきん来たばかりの
新入りなんだ」

ひとりの女の子が
言いました
「わたしんちのしんせき
漁師やってて
トドの肉を
もらったことがあるけど
すんげーまずかったわ」
おじさんは
女の子たちが
トドミを見て
無邪気によろこぶ姿を
期待していたので
がっくりしました

女の子たちが帰ると
おじさんは
トドミを
にらみつけ
怒鳴りました
「このあいだ
もっと動いて
楽しませろと
言ったばかりなのに
ぼんやりしやがって!」

トンコは
おじさんを
見ながら
夕食がもらえないことを
心配しましたが
トドミには
おじさんの怒鳴り声が
そよ風にゆれる
草のささやきにしか
きこえませんでした

なぜなら
トドミの
頭の中は
モミオのことで
いっぱいだったからです

その晩
トドミの横で
トンコは
気持ちよさそうに
眠っていました
夕食をもらえなかったのは
トドミだけだったのです
トドミは
寝床にしている小屋を
静かに抜け出し
夜空の星をながめました

「キミが
星を見ているように
だれかが
キミを見ている」
とつぜん声がしましたが
トドミは
おどろきませんでした
そして
声のしたほうを見ずに
つぶやくように
と言いました
「ネコウモリね」

「わたし
この動物園から
出たいの」
「それでキミが
しあわせになれるなら
そうすればいい」
「ええ」
「そして
つぎは空を飛ぶ
羽根がほしいと言う」
「ほしくならないわ」
「ほしいものは
星の数だけあるさ」

「星の数ほどないわ」
「菓子折りを
ひとつ
手に入れた者は
ふたつめが
ほしくなる
そして
ひとりで
かかえきれないほどの
菓子折りが手に入ったら
つぎは
菓子折りをかざる
台がほしくなる」

トドミは
ネコウモリの話に
言葉を返さず
ネコウモリも
それ以上
話そうとしませんでした

冬になり
寒くなると
めったに
動物園を
おとずれる者は
いませんでした

ある日
冬の動物園に
ひとりの女の子が
やって来ました
それは
トドミが動物園に
つれてこられた
さいしょの日
見物に来た
女の子でした

女の子は
しばらく
柵の中を
ながめていましたが
とつぜん走りだし
帰ってしまいました

つぎの日
動物園に
おおぜいの人が
大きな声をあげながら
押しかけて来ました
「動物を
せまい場所に
閉じこめるのは
やめろーっ!」
「動物を
ぎゃくたいするのは
やめろーっ!」

動物園の
おじさんは
びっくりしました
菓子折りを
もらえるどころか
多くの人たちから
いきなり非難の声を
あびせられたからです
「オレがなにも
悪いことはしてないぞ!」
「うそつきおやじっ!
トドが死にかけて
いるじゃないのっ!」

「そうだーっ!
そうだーっ!」
「ろくにえさを
やらないから
トドが
あんなに
やせてるじゃないの!」
「ちがう!
えさをやっても
あいつはえさを
食わないんだ!」
「いいわけしても
トドは
元気になりませーん!」

「そうだーっ!
そうだーっ!」
押しかけて来た人たちは
柵を
けったり押したりして
こわしてしまいました
でも
動物園のおじさんは
なにを言っても
むだだと思い
見ているだけでした

トンコが
トドミに言いました
「さあ行くのよ
おじさんは
あなたを
つれもどす理由が
なくなったから
追いかけないわ」
トドミが
トンコの顔を見つめると
トンコが言いました
「私はここが
けっこう
気にいってるの」

おおぜいの
人たちが去り
トドミも
行ってしまいました
こわされた柵の横に
おじさんが
座りこんでいました
トンコがそばへ行くと
おじさんが言いました
「おまえは
行かないのか?」
「今晩の食事を
すませてから
考えるわ」

モミオが
はじめて
トドミの前に
あらわれた時のあと
モミオは
いちども動物園に
姿を見せませんでした
トドミは
モミオのことを
思い浮かべると
なぜか食欲がなくなり
日に日に
やせてしまいました

そして
動物園から
解放された今も
自由になった
よろこびよりも
モミオに
会えるかもしれない
という期待で
トドミの胸は
いっぱいでした

トドミは
モミオの家へ
行こうと考えていました
しかし
場所がわかりません
だれかに
きこうと
考えていましたが
外を歩いている人は
だれもいません

「どうしましょう
こまったわ」
トドミは
あてのないまま
うろついていると
ある家の窓ごしに
人の姿が
見えました
トドミは
窓に近づいて
中をのぞいてみました

家の中にいたのは
おばあさんで
トドミの姿に気づくと
窓を開けました
「なんのようだい?」
「モミオさんの家を
おしえてほしいの」
「むこうに
まっすぐ行くと
川があって
そのそばの家がそうだよ」
「ありがとう」
「待ちなさい」

その人は
家の奥に行き
しばらくすると
手になにかを持って
もどってきました
「わたしがつけた
つけものだよ
持って行きなさい」
「ありがとう」
トドミは
頭のうえに
つけものをのせて
川にむかいました

トドミが
川が見えるところまで
行くと
川のそばに
一軒だけ建っている
家が見えました
しかし
トドミは
そこから先へ
すすむのを
やめてしまいました
その家のまわりに
たくさんのシカがいるのが
見えたからです

しばらくすると
家の中から
人が出て来るのが
見えました
「モミオさん!」
トドミは
思わずさけびましたが
遠くはなれていて
その声は
とどきません
モミオは
家のまわりのシカたちに
食べものを
あたえはじめました

そのようすを
見ていたトドミは
モミオへいだいていた
熱い気持ちが
急に冷めていきました
「モミオさんは
私だけのものじゃ
ないのね」
トドミは
モミオの家が
見える場所をあとにして
あてもなく
雪の中をすすみました

トドミは
一本の木の下に
もぐりこむと
きゅうに
おなかがへり
頭の上にのせていた
つけものを
かじってみました
「あら!
これ
とっても
おいしいわ!」
トドミは
大きな声を出しました

つけものを
ぜんぶ食べ終えると
トドミは思いました
「海へ帰ろう
でも
どっちへ行けば
海へたどりつくのだろう?」
いつのまにか
トドミは
木の下で
眠ってしまい
海の中を
自由自在に泳いでいる
夢を見ました

トドミが
目をさますと
雪がふっていました
風はなく
雪は
ゆっくりと
たえまなく
空からおちてきました
「海の中も
雪がふるのかしら?」
トドミは
まだ夢を見ているような
きぶんでした

つぎの日になっても
雪は
降りつづきました
トドミは
木の下から動かず
ずっと雪が
降って来るのを
ながめていました

雪がやんだのは
その日の
夜おそくでした
「いつもより
星がたくさん見えるわ」
夜空を見つめていた
トドミは
自分も星のひとつに
なったような気が
してきました

つぎの日の朝
トドミが目をさますと
すでに空は
明るくなっていました
「あんなに
たくさんあった星が
朝になると
あっけなく
消えてしまうのね」
トドミは
しばらく
空をながめていましたが
雪の中を前へ
すすんでいきました

トドミは
つけものをくれた
おばあさんの家に
行きました
海への道をきくためと
つけもののお礼を
言うためでした
しかし
家の窓から中をのぞくと
おばあさんは
床の上に横になり
大きな口をあけたまま
動く気配がありません

トドミは
おばあさんの家を後にして
近くの山へ
むかいました
「高いところなら
どこに海があるか
見えるはずだわ」
山の中は
下から見えていた姿とちがい
ふくざつなかたちをしていて
頂上につくまでに
予想以上の時間と
体力が必要でした

頂上についたトドミは
雪で白くなった
山のむこうに
ひらたく
ひろがっている景色を
見つけました
「たぶん
あれが海だわ」
トドミが
頂上をあとに
しようとしたときでした
下からあがってくる
人のすがたが
トドミの目にはいりました

「モミオさん!」
トドミは
おもわずさけびました
モミオは
トドミに気づき
頂上まで
のぼってくると
と言いました
「新しい雪がふったら
スキーですべって
みなければ
いけないからな」

それから
トドミの姿を
じっと見ると
ポケットから
なにかを取りだし
トドミにさしだしました
「これを食べて
パワーをつけるんだ」
「これは
なにかしら?」
「しっかりと
にぎりしめた
カステラだ」

トドミが今まで
かいだことのない
あまいかおりが
カステラから
ただよってきました
それをくちに入れた
トドミは
そのおいしさと
それをくれた
モミオのきもちに
胸が熱くなりました
「きょうは
動物園は
休みなのかい?」

「あそこには
もう行かないの」
トドミは
今までの
いきさつを
モミオに話しました
すると
モミオが言いました
「サカナをとっていけない
川というのはあるが
それは人間だけのきまりだし
ネコなめの刑というのは
つくり話だな」

「つくり話?」
「おれは
サカナをとっては
いけない川で
サカナをとって
つかまったことが
あるのだ」
「ネコに
なめられなかったの?」
「なめられなかったが
たくさんの金を
はらったから
胃ぶくろが
いたくなったな」

「動物園の
おじさんは
わたしを
だましたのね」
その時
トドミは思いました
「海へ帰るには
動物園のおじさんに
つれて行ってもらおう
私をだまして
動物園へつれてきて
見せ物にしたのだから
お返しをして
もらわなくちゃ」

「それじゃ
お先にしつれい」
モミオは
雪の斜面に
飛びこんで行きました
深い雪の中を
たくみなスキーそうさで
すべりおりるモミオの姿は
トドミの目に
まるで
海の中を泳ぐ
トドのように映りました

その時
トドミは
とつぜん
山ぜんたいが
ゆれたような気がしました
「雪が波のように
流れていくわ」
それは
なだれでした
「ヒャー」
雪けむりの先から
モミオの声が
きこえてきました

しばらくすると
なだれは
おさまりましたが
モミオの姿が
見えません
トドミが
雪の斜面を
すべりおりて行くと
雪の中から
足だけが出ていて
ゆらゆらと
ゆれていました

「ああ
よかった」
トドミは
動いている足を
ながめながら
モミオが
雪の中から
出てくるのを
待っていました
でも
しばらくすると
足は動かなくなって
しまいました

トドミは
モミオの足をくわえて
雪の中からモミオを
引きぬいてみました
モミオは
ぐったりしていて
目がうつろでした
「モミオさん!」
トドミの声に
モミオは
なにもこたえません
トドミは心配になり
モミオの顔を
たたいてみました

すると
モミオの鼻から
血が流れ出し
トドミは
びっくりしましたが
モミオが
「あー」と
声を出しました
トドミが声をかけると
モミオは
起きあがろうとしましたが
「うー」と
うなっただけで
起きあがれません

「だめだ
動けない
ケガをしたらしい」
「私が背中にのせて
運んであげるわ」
トドミが
そう言った時には
新しくおきた
なだれの
雪けむりが
トドミたちの
目の前まで
せまっていました

そのころ
トンコは
動物園を後にして
食べ物をもとめて
さまよっていました
動物園のおじさんから
「動物園は
おしまいなんだ
どこかへ行ってくれ」
と言われたからです
「人間て勝手な動物ね」
トンコは
ぶつぶつ言いながら
歩きつづけました

「あら
おいしそうな
におい!」
一軒の家から
食欲をそそるにおいが
ながれて来るのを
トンコの鼻は
見のがしませんでした
トンコが
その家の窓から
中をのぞくと
なにかを食べている
おばあさんの姿が
見えました

「ブーッ!
ブーッ!」
トンコが鼻を鳴らすと
おばあさんは
トンコに気づき
窓を開けました
「あんたも食べるかね?」
おばあさんは
トンコが
返事をするまえに
家の奥に行き
汁が入った
器を持ってきました

「熱いから
フーフーして
冷ましてから
食べなさいよ」
「ブー」
「ブーじゃなくて
フーだよ」
トンコは食べ終わると
たずねました
「あーおいしかった
これはなんという
食べものだったの?」 「とん汁じゃよ」

その夜
トンコは
雪に穴をほり
その中で
すごしました
トンコは
これからのことを
考えようとしましたが
それは
明日になったら
考えようと
思いました

よく朝
トンコは
するどい痛みに
目をさましました
一匹のモグリが
トンコのからだに
かみついていたのです
「なにすんのブーッ!」
モグリは
トンコのからだから
口をはなすと言いました
「食べようと思ったんだ」
「食べないでよっ!」

モグリが
ばつが悪そうに
もじもじしていると
トンコが
鼻をひくひくさせて
言いました
「あら
いいにおいがするわ」
トンコの鼻は
そのにおいが
モグリが持っている
袋から流れて来ることを
つきとめました

「それを
くれたら
私にかみついたことを
ゆるしてあげるわ」
モグリは
袋のひもをほどいて
言いました
「これをもらったことを
忘れていたよ
これを食べれば
君をかまなくても
よかったんだ」
袋のなかみは
カステラでした

トンコはカステラを
三分の二くらい食べると
言いました
「のこりは
あんたに返すわ」
「ありがとう
これでキミを
食べなくてすむよ」
モグリがカステラを
食べるようすを見ながら
トンコがききました
「ところで
このカステラ
だれにもらったの?」

モグリを
先頭に
数名の人間が
雪の中を
すすんでいました
とちゅうで
雪がふり始め
遠くの景色が
見えなくなりましたが
モグリは
まようことなく
目的の場所に
たどりつきました

雪の上に
横たわっている
トドミを見て
だれかが言いました
「死んでるのか?」
「モミオはどこだ?」
その時
かすかに
モミオの声が
きこえてきました
「モミオだ!」
トドミのからだの下に
モミオがいました

助け出された
モミオが言いました
「トドがいたから
凍えずにすんだ
でも
トドも
ケガをしている」
みんな
トドミを見ましたが
トドミは動きません
その時
モグリが
いきなりトドミに
かみつきました

「こらっ!
そんなことをしたら
だめだっ!」
だれかが
大声を出した
その時でした
トドミのからだが
すこしだけ
動きました
「生きてるぞ!」
また
だれかが
大声を出しました

モグリは
トドミの頭のそばへ行き
言いました
「ごめんね
もっと早く
助けに来るつもり
だったのに
とちゅうで
忘れちゃったんだ」
すると
トドミが
なにか言いました

「え?
声が小さくて
きこえないよ」
モグリが
トドミの
口もとに近づくと
トドミは
もう一度
言いました

「私を食べても
いいわよ」

(2010年12月26日)